伊坂 重郎 氏
司法書士

普通と少し違う遺言の活用方法を皆様にご紹介します。
遺言、というと我々日本人は少しネガティブなイメージを持ちます。「元気な内に死ぬことを考えるのは縁起が悪い」というのがその原因の一つになっているようです。ですが、ご自分が亡くなった後の財産関係を明確にしておくことで、無用な相続人間の争いを予防し、相続後の面倒な手続きを省略することもできますから、遺言を遺しておく事は相続対策として非常に有用だと私は思います。
相続争いは、多額の財産のある家庭だけのものではありません。何億円という資産を親族が奪い合う凄惨なサスペンスドラマはよく見かけますが、実際に起こる相続問題は、100万円単位のものが多いのです。表面上は納得して、平等に財産を分割しても、実際には相続以降音信不通になってしまうという悲しい事態もよく起きています。こういった事態を防ぐためにも、遺言を活用していただけると良いのではないでしょうか。
遺言で各財産をどの相続人が取得するのかを決定しておくと、相続後、遺産分割協議をするまでもなく、財産の帰属が確定します。相続人全員が合意すれば別の形で分割をすることも可能ですが、全員が納得して合意することがなければ遺言の指定通りになりますから、無用な争いはこれで予防できます。各相続人の遺留分などに注意しつつ、これをしておくと有効です。仲の良かった家族が相続をきっかけに不仲になる、というのは悲劇です。
【付言事項】
遺言は民法でその書式が定められています。この書式に従わないで遺された遺言は、残念ながら無効という事になります。しかし、必要な要件をしっかりと満たしているのであれば、他に何か書いてはいけないという決まりはありません。 それが、今からご紹介する「付言事項」です。
遺言における付言事項とは、法的な意味を持たない部分を指します。遺言には、「今まで本当にありがとう」「これからも仲良く暮らして下さい」など、所謂手紙のようなメッセージを付けておく事ができるのです。字数制限もありませんから、ご自身の想いを、沢山の言葉で表しておくことも可能です。
日本では遺言を「財産の配分に関する文書」と考える傾向が強いため、どうしても感情のこもらない機械的な文章による遺言が多くなっています。ご家族のためを思って書いた遺言が、意に反して相続争いの発端となる事もあります。
たとえば、自分に良く尽くしてくれた奥様に全ての財産を相続させたい、と考えて遺言しても、他の相続人が遺留分を主張して争い、遺産分割を要求するという事態を招き、かえって奥様の心労となってしまう危険性があります。他の相続人の方に対しても、ご自身の奥様に対する気持ちや、お子様に対する気持ちをはっきりとメッセージにし、理解を得ることで、このような危険性は減少します。
※このようなケースでは、生前に話し合いをし、いくらかの対価を与えることによって他の相続人が納得の上、遺留分を放棄するという方法によって、法的な争いを未然に防止することも有効です。ただし、遺留分の生前放棄には家庭裁判所の許可が必要になりますので、ご注意ください。
【遺言による寄付など】
相続人となる方がいらっしゃらない場合、相続財産は原則として国が取得する事になりますが、遺言によって公益法人などに寄付する事も可能です。また、ご自身がお世話になった恩人や親しい知人に財産を贈与(遺贈)する事ができます。
【負担付遺贈】
よくあるのが、可愛がっていたペットに財産を遺したい、というご相談です。法律上、ペットには財産を所有する権利が認められていませんから、遺言でペットに財産を譲る、と書いても効力は発生しません。
このようなケースでは、信頼のできる知人にペットと他の財産をセットで遺贈し、ペットの面倒を見る、という義務(負担)を負わせる内容の遺言を遺すことができます。もちろん、相手の方には事前に連絡し、もしもの事があった場合、という事で了承をとっておくべきです。
【最後に】
遺言の活用法について簡単にご説明しましたが、遺言には他にも様々な機能があります。ご自身の亡くなった後の事であるからこそ、体調の良い時に、しっかりと色々な事項を検討し、万一の事態が起きてもご家族が困らないような形を作っておく事が大切です。遺言は一度書いたら絶対に手を付けられないというものではありません。ご自身の体調が万全であれば何度でも書き直しや取り消しのきくものですから、何年かに一度見直しをして、状況に応じた遺言を作っておくことをお勧めいたします。
編集者の雑感
相続でいつも思い出すことがあります。とても残念な結末なので忘れられません。
親しくさせていただいた先輩がいました。先輩は、3人兄弟の末っ子で学業成績は悪くなかったのですが、若くして奥様をなくされ一人暮らしをされていたお父様の希望があり、お父様が経営していた眼鏡店を継がれていました。二人のお兄様は上場企業に勤められて、滅多に帰郷することはなかったようです。そんな1990年頃バブル経済の中で、お父様が逝去されました。葬儀が終わり遺産相続の話になったそうです。
関西の大都市ですが、中心街から少し離れた場所の小さな眼鏡店で、元の資産価値は、土地も含めてせいぜい数千万円でした。それがバブル経済のなか土地の価格は億を超えていました。二人の兄は、1/3ずつを要求してきました。一人当たり数千万円です。月商300万円足らずの眼鏡店です。そんな貯金はありません。店を処分することも考えたそうですが、眼鏡店一筋の彼には他の道は思いつかなかったそうです。やむなく銀行に頼み込んで融資を受けたそうです。銀行もバブル期だったので貸してくれたようです。その後、十数年ぶりにその先輩と会いこの話を直接聞きました。「父親を30年も面倒見てきたのに、こんな仕打ちにあうなんて」と怒りと悲しみが混じった話でした。
もしはないのですが、メモだけでも良いので、父親が面倒見てくれた末っ子に感謝の言葉を残していたら、もう少し変わっていたかなと思います。
残念な話が、続きます。その先輩は、夫婦で唯一の趣味であったゴルフの帰り道に交通事故に巻き込まれて二人ともなくなりました。
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